立教大学メサイア演奏会とは?

ヘンデルのオラトリオ「メサイア」は、主イエス・キリストの誕生から死、そして復活を描いた大曲です。クリスマスを迎える行事の中で、立教大学のメサイア演奏会はその伝統、規模において最大のイベントといえるでしょう。

立教大学のメサイア演奏会の大きな特色は、学生キリスト教団体、交響楽団、グリークラブの学生を中心にメサイア実行委員会が組織され、運営にあたっている点です。音楽課程を持たない大学でありながら、学生の手によってオーケストラ・コーラスが構成されていることも、立教メサイアならではです。

Messiahとは?

オラトリオ・メサイアについて

  メサイアは古代のユダヤで用いられた言葉のメシアの英語読みで、もともと神によって頭に香り高い油を注ぎかけられ、祝福を受けて人民を治める使命を与えられた人物を指したのであった。時の移りに従ってその意味もいくらか変り、広く人類をその弱さ、すなわち罪から解放する使命を与えられた人を指す言葉になり、古代の世界共通語であったギリシャ語はこれをクリストース(キリスト)と訳した。

  ユダヤの民族宗教の聖典である旧約聖書にはメシアの出現の待望、期待がしばしば記されており、特に西暦紀元前 8 世紀の人イザヤの編著によるイザヤ書にこれがもっとも明らかにされている。ユダヤ民族はこの期待に力を得て、さまざまの苦難と誘惑に耐えてきたのであった。神はこの期待を無にすることなく、ベツレヘムの町の馬屋の中で一夜を過ごさねばならなかったナザレ村の一女性マリアの胎を借りて、神の子、メシアたるイエスを地上につかわしたもうた。イエスの教えのとうとさ、美しさ、きびしさを聞いたユダヤ人の一部は、イエスこそメシア、キリストであると信じ、それを信じない人々から迫害をうけながら、原始キリスト教団を形成した。イエスが旧体制を固守するユダヤの上層階級によって反逆者として十字架にかけられて死に、ただちに復活し、やがて昇天して父なる神のもとにかえり、人々のあいだに聖霊をくだして、そのはたらきによって、神人のコミュニケーションが成立する。イエスの教えはやがて多くの信奉者によって論理づけられ、世界人類のための宗教となり、キリスト教が成立する。信奉者のなかでもパウロが最も有力であった。ちなみに立教大学の英語名はセント・ポールズ・ユニヴァーシティである。ポールはパウロの英語読みである。

  ヘンデルが 1741 年に、伝説によればわずか3週間で作曲し、アイルランドのダブリン市長等の招待に応じて、その市で初演した「メサイア」は上記のことがらをこの上もなく美しく、壮大に、迫真力をもって、われわれにつたえてくれるオラトリオである。ヘンデルの時代に流行し、またヘンデル自身もそれにならった作風のオラトリオは旧約聖書にあらゆる人物や後世の宗教 的人物を主役とし、物語りに尾ひれをつけて、オペラまがいにしたものであるが、「メサイア」は歌詞全部が聖書からえらんだものであり、劇的中心人物は登場しないのが著しい特徴である。しいて言うならばこのオラトリオは神を主役とし、舞台を時と所を超越したところにおいたオラトリオである。このオラトリオは先づメシアの出現の期待、それが出現したときの美しい世界のまぼろしや、待ちどおしさを物語る。やがてメシアであるイエスと誕生の夜の静けさをあらわす牧歌調の器楽につづいて、神の子の降誕、それを知った人のよろこび、その教えの美しさをたたえることばが歌いあげられる。この間の音楽の明暗、緩急の変化、独唱と合唱とのとりあわせは完璧と言うほかはない。第 2 部は反体制者たるイエスの苦しみにみちたはたらき、十字架上での流血、しかしその教えを宣伝する人々が無数に地上にひろまったこと、そしてこの世界が神の統治するところとなり、人々はハレルヤとさけんで、メシアのはたらきの成就をよろこぶにいたるまでを歌いあげる。それにつづく第 3 部はキリストが再び地上に来たり、墓に眠る死者を呼びおこし、あらたなる生活にみちびきいれるとの信仰をうたう独唱にはじまり、人々に永生の希望を与える。キリストの再臨をつげるラッパが鳴りひびいて、人は霊的存在として永遠に生きることになる。人類の罪すなわち弱さを負わされて犠牲として殺される小羊にたとえて、キリスト・イエスへの壮大な賛美をもって、この神劇は終る。
この曲にあらわれる壮麗な情趣は他に比類なき壮麗さを通じて、永遠の生命への確信を与えられる。この確信のうえに世界人類の大きな平和が、ほんとうに成立するのである。このオラトリオの演奏は実に平和への祈りにほかならない。
(この解説文は、この立教メサイア演奏会の生みの親であられる、故辻荘一先生が執筆されたものである。)
※現在の立教大学の英語名は Rikkyo University である。

立教大学メサイア演奏会の歴史

 立教大学メサイア演奏会の始まり

聖公会の大学として、昔から立教大学ではキリスト教団体の学生を中心に組織されるクリスマス実行委員会により、クリスマス週間にクリスマス礼拝、キャロリング、音楽会など様々な行事が運営されていました。
その中に恒例の催し物として、芸大やK・A・Y合唱団によるメサイア演奏会が行われていました。

しかし、昭和30年代ごろからクリスマス実行委員会の学生の中からも、音楽団体の学生の中からも、「オール立教という形で何か大きな出し物をやりたい」という声があがってきたのです。
更に、元チャプレンの竹田鐵三先生や、元グリークラブ部長の故辻荘一名誉教授、元オーケストラ部長の故金子尚一名誉教授、また当時(昭和36年)学生部長を務められていたチャプレンの故岩井祐彦先生たちの会話の中にも、「借り物でないメサイアを立教人の手でできないだろうか?」という希望が聞かれるようになってきたのです。

そこで、故岩井祐彦先生を中心として、前記の諸先生方やチャプレン、オーケストラ、グリークラブ、聖歌隊、合唱団アヒル会、音楽芸術研究会、それに学生キリスト教団体の代表者が集まり、立教メサイア実現のための歴史的な会合が持たれたのです。
当時、一つの大学がメサイアを演奏するなどということは考えられないことだったのです。
しかし、この趣意に賛同してくださった当時芸大助教授であった故金子登先生が指揮者を引き受けてくださり、ソリストには中村健先生(テノール)、三宅春恵先生(ソプラノ)、平野忠彦先生(バリトン)、戸田敏子先生(アルト)、チェンバリストとして山田貢先生が引き受けてくださることになったのです。一方、練習場がなくて苦労していたオーケストラも、メサイアの練習にとりかかるまでにと、防音装置つきの練習場が与えられました。


またこのとき、おおよそ以下のような役割分担が成立しました。

・合唱団アヒル会、音楽芸術研究会は直接協力はできないが、部員に対して個人参加を奨励する
・オーケストラは全員参加で取り組む。
したがって「メサイア」もオリジナルではなく、管弦楽も参加できるモーツァルト版で演奏する。
・グリークラブと聖歌隊は全員参加して合唱の中心となる
・学生キリスト教団体は、マネージメント、渉外、会場係、演奏会準備などをすべて引き受ける
・楽譜などの必需品や必要経費の調達、学内外諸機関との折衝などについては学生部が相談に乗れる体制をとる
etc...


このような経過をたどり、立教人によるメサイアが実現へと向かっていったのです。
そしてついに昭和37年12月22日、文京公会堂(現文京シビックホール)にて、第1回目の立教メサイアの幕が開かれたのです。
過去には、現在有名アーティストがライブを行う場所として有名な渋谷公会堂や、日比谷公会堂などでも行われたことがありました。


『どのようにクリスマスは祝われたら良いでしょう。一言一神の創造的生産に参加することを通じてです。
今日、ここに立教大学の音楽関係者を総動員して、多くの協力者の御参加を得て、メサイアの公演をするにいたりました。
これを生みだすために、学生を中心として、多くの人々が長い時間をかけ、祈りつつ努力して参りました。
今日の公演そのものと共に、このような生産的活動こそ神の創造の業に参加することであり、私共人間に許された創造的活動なのであります。
今日こそ私共は、身をもって神人的歴史に参加しつつ、救主イエス・キリストの御降誕の意味を知り、神の創造の業に新たなる感激と感謝賛美の歌を捧げられるものでしょう。
神人的歴史の現実において、平和の歌を高らかに歌いましょう』

(第1回メサイアのプログラムより、故岩井先生の言葉)



『立教の音楽団体が力を合わせメサイアを演奏する運びとなったことを大変喜んでいます。
私達は、常にこのような全学的催しを望んでおりましたが、各団体の都合などで出来ませんでした。
メサイアの良さはもちろん、何か意欲を持ちたい気持ちがこれを推進する人々の間に非常に強かった故、ここに形が整ったのでしょう。
この長い音楽に接する時、私達は他の音楽と異なった感じを受けます。宗教が題材だからでしょう。
この中に時には劇的な、また抒情的要素がある。これが私達を荘厳な気分にするのです。
今迄、古典派、浪漫派の多かった我々が、このように本格的にヘンデルの作品に取り組んだ点でも、メサイアの演奏する意義がありましょう』

(オーケストラ、杉田氏のことば